以前幸福と快楽と音楽ゲームにて、音楽ゲームをすることは私にとって幸福かを考えた。そこで幸福論的な書籍を読みたいなーという感じになっていた。ということで「21世紀の道徳」という本を最近隙間時間で少しずつ読んでいる。全体としては表紙にもある通り学問、功利主義、ジェンダー、幸福について21世紀においてどのような道徳的価値観を持つかという話がされる。その中で私は「幸福を考える」の部分を読んでいる。ちなみに他の部分はまだ少ししか読めていない。
読んでみて、自分の中ではこう考えるようにした。
「幸福とは自信を持って自己紹介できることである」
なんだか突拍子も無い気がするので説明する。 まず「自己紹介」が何を指しているかだが、これは本から引用すると
「自分は今まで人生をこのように歩んできて、こういうことを経験してきた」
「自分にはこういう特徴があり、こういう気質を持っている」
というのを述べることだ。ということでここでいう「自己紹介」に単に出身地や性別を述べることは含まれない。これらを自信を持って述べられることが幸福なのだ。なぜそう言えるかというと、これを述べるためには今までの人生の中で自分が良くも悪くも没頭した出来事がなくてはならないからだ。「幸福とは自信を持って自己紹介できることである」という遠回しな言い方をしてしまったが、直接的には何かに没頭できることが幸福だということだ。
「何かに没頭できることが幸福だ」でもまだ直接的な表現では無いかもしれない。以前私は「幸福は努力の末に存在し、努力の伴わない満足感は快楽である」というようなことを述べた。この通りであれば幸福は努力をしなければ得られない。一般的に努力とは苦しみを伴うものだが、実は「没頭」していれば苦しみをあまり感じずに済む。没頭は実際はあるはずの苦しみを感じさせずに幸福に辿り着くことができる最高の道具なのだ。
こうなると本当に「幸福は努力の末に存在」するかを確かめたくなるが、ちょっとそこまでは述べない。実際にやってみればわかるとは思う。まあ何か目標のために努力をし目標を達成することは楽しいことだと個人的には思う。