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幸福と快楽と音楽ゲーム

2023年10月11日

なんでも音楽ゲームを例にするなと言われるかもしれない。ごめん。でもまあ悪いことはない。

私の趣味はリズムゲームもしくは音楽ゲームと呼ばれるものだが、私にとってそれは幸福の源かそれとも快楽か。 そんなことを考える意味があるのかわからない。ただ少し気になったので考えてみようと思う。

まずはそれぞれの語の意味を示す。

幸福

満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま。しあわせ。

weblio辞書 幸福より引用

快楽

心地よく楽しいこと。官能的な欲望の満足によって生じる、快い感情。けらく。

weblio辞書 快楽より引用

それぞれ似たような意味だが私はそれらを「努力の有無」で使い分けている。 努力して得た満足感は幸福と呼び、努力せずに得た満足感は快楽と呼ぶ。 辞書にはそのような分別の記述は無いが、このように使い分けている人は私以外にもいるのでは無いだろうか。

例えば仕事をして報酬を得る満足感は幸福だ。労働という努力によって得た報酬から幸福を感じるからだ。 対して、酒を飲んで得られる満足感は快楽だ。特に努力せずに得たものだからだ。 しかし、入手困難な酒を努力の末に手に入れ、ついに飲むことが叶ったという状況であれば幸福になるかもしれない。

ではそれを踏まえて音楽ゲームから私はどちらを得ているのか考える。 いや、上記の使い分けで考えれば迷うことは無い。私は音楽ゲームをプレイすることによって幸福を得ている。 ここ1年半以上毎週ゲームセンターに通いクレジットを注ぎ込んできた。 それによってスコアを伸ばし、スコアを更新するたび、目標を達成するたびに満足感を感じている。 人によって捉え方が変わるかもしれないが私はそれを努力していると考える。 しかしながら、別に努力をしたと明確に感じているわけでは無い。 実は音楽ゲームをするときは超集中というかゾーンというか、まあそのような状態に成っていて苦しささえも嬉しいのだ。 それも含めて幸福だ。

上記は主に弐寺を想像しての話だが他の音楽ゲームでも程度は違えど同じことが言えるはずだ。

いや待てよ。もしかすると快楽も同時に得ているかもしれない。 音楽ゲームで楽しめる要素はスコアだけでは無い。 そう、音楽を聴くことやBGAを観ることも楽しいのだ。 音楽を聴くことで得られる満足感は幸福の方だろうか。いや、どちらかというと快楽だろう。

私は弐寺を家でもプレイできる環境を整えているがあまりそっちの方をやりこんでいない。 わざわざゲームセンターに行ってプレイすることを選んでいる。 なぜならば、ゲームセンターの方が音響が格段に良いからだ。 ゲームセンターの周りの騒がしさを加味しても アーケード筐体の放つ重低音が体を震わせる感覚や没入感は家の環境では得られない。 快楽を得るためにゲームセンターに通っている。

さらにスコアを更新した瞬間などはあれは幸福というより快楽な気がする。 気がするだけだが。

よって音楽ゲームは私にどちらももたらしていると考える。 辞書での意味が近いことからも分かるように、幸福と快楽は近い存在である。 もしかすると、それらは同時に存在するのが普通なのか。 好きな曲を聴き快楽を得て、好きな曲のスコアを伸ばし幸福を得る。

幸福と快楽の境界がわからなくなってきた。 幸福論的な書籍を読めばもう少し解像度上がるだろうか。

それらの境界となるものは努力の他にも「飽きの早さ」もありそうだ。 幸福よりも快楽の方が飽きが早いと思う。うーん、ちょっと違うような気もする。

またぼちぼち考えよう。