今までの人生を通して、 自分があまりにも無力で不安定な存在であることにすでに気づいてしまっている。 そのような心持ちでこれからも生きていく必要がある。 さて、どうするか…。 人生の目的というと大袈裟だが、ちょっとした方針が欲しいところだ。 とことん好きなことをやるといった自分本位のものでも良いが、 最近薄々感じているのは他人のために生きるということだ。 なぜそのように思うか。 それは、結局自己中心的な考えに基づいている。 自分のために頑張ってもその先が見えないのだ。 なんというか広がりがない。 たとえば弐寺なんかは完全に自分のためにやっている。 それはそれで楽しいが、それだけでは満たされない。 弐寺のプロになってやるという手もあるかもしれない。 でもあまり現実的ではないように感じる。
大学の工学部に進んだのもパソカタが好きでその延長でしかない。 例えば、医者になって人の命を救いたいとか、 弁護士になって多くの人の権利を守りたいとか、そういう他人に向いた目的はなかった。 自分の好きなことをしたい。ただそれだけだった。 以前「私の好きなこと」という記事を書いたように、 ここ数年は自分の好きなことをより重視してきた。 それによって、ネットワーク技術が好きだ、弐寺が好きだ、レトロなものが好きだ、 と言った具合にある程度の自信を持って好きだと言えるものが増えた。 それはそれで良いことであり、それらを見つけることができてよかったと思っている。 しかし、もしかしたら次の段階に進む必要があるのかもしれない。 次の段階が何かもよくわからないが、それが今のところ「他人のために生きる」ということだ。
漫然と生きる自分 → 端っこで孤独な自分 → 好きなことを探す自分 → 居場所がある自分 → 好きなものに自信を持つ自分 → 次は…?
人間は外的欲求を満たすと内的欲求に走るらしい。 内的欲求とは承認欲求とか自己実現とかだ。 おそらくだが、大学を出て就職するにあたって外的欲求が揺らぐと思う。 それを予感して私の気持ちは不安定になっているのだろう。 承認欲求や自己実現が考えづらくなる。 マズローの5大欲求のピラミッドがあるが、あれは登っていくというよりゆらゆらと上下に振れるもののように感じている。
何が言いたいかというと、自分が情けないということだ。