1年半前くらいだっただろうか。会社勤めを始めた大学の同期が研究室に遊びにきた時のことだ。会社はどんな感じかとか、どういう業務をしてるのかとかそういった話を聞いていたのだがそこで私はエンジニアに向いてないのではないかという話になった。
なぜ向いていないとなったかというと、その時私が「効率化することがあまり好きではない」と言ったからだ。言っておいて何だがそういう自分がいることに自分は驚いていた。普段の行動から見て、色々自動化したり簡単化したりするのはどちらかというと好きな方だとは思うのだがその時の私はなぜそのようなことを言ったのだろう。
「効率化することがあまり好きではない」自分がいることを時折思い出しては、なぜそう思ったのかを考えたがそれらしい答えは出ていなかった。しかし、今日水中の哲学者たちの「待つ」を読んでいた時にひとつの仮説が浮かんだ。それは「時間が加速するのが怖いのではないか」というものだ。
効率化は時間を加速させるイメージがある。実際効率化することによって1時間かかっていた業務が5分で終われば、1時間が5分に押し込められるのでそれを「時間が加速した」と捉えることができる。私はこの時間の加速に恐怖している。確かにそのような感覚がある。自分の発言ではあるが初めて「効率化することがあまり好きではない」自分に共感した瞬間である。1年半越しに共感できて結構嬉しかった。
そうして次の段階に進む。次は「なぜ時間の加速に恐怖するのか」という問いだ。 現段階ではまだまだ曖昧で「時間の加速に自分が置いていかれる感じがする」くらいのものなので今後はこの点についてより深く考えたい。自分の哲学として考えがまとまったら「効率化を拒む自分」についてしっかり記事を書いて残したい。