今日は疲れてるからかしらないが書くものが何も思いつかなかった。 あまり生産的な日ではなかったのだろう。 そういう時は僕の場合大体音楽ゲーム関連で書く。 それだったら何かしらは思いつく。
昨日Beatmania IIDX RESIDENTプレー納めをした時、ちょっと考えてしまったことがある。 「これからも音楽ゲームを続けても良いのか」そんなふうに思ってしまった。 僕の場合音楽ゲームだが趣味や何かしらの活動をする上で、 「このままこれを続けていくべきか」というのは誰でも一度は考えるのではないか。
僕はこんな時「楽しいことをやろう」という考えを軸にする。 音楽ゲームは今の所楽しいのでまだまだ続けるだろう。 しかしこれは一つの方法であり最善かどうかは全くわからない。 こういう時はこうしようという一種の思考停止状態を意図的に作り上げているので それが悪い方向に行くことも十分に考えられる。 ただこの思考停止メソッドは一応自分なりに考えた理屈が支えている。
「楽しいことをやろう」というのは単純に遊んでダラダラと暮らそうというものではない。 そこに苦しみがないわけでもない。楽しみと苦しみは共存するからだ。 むしろここで言う「楽しいこと」は苦しみを持ち合わせた楽しい事柄を指している。 以前話した幸福の話にも近い部分がありそうだが今はあまり踏み込まないでおく。 大事なのは楽しいことをやることによって何が起きるかである。 僕は人間は楽しくないことをやるより、楽しいことをやる方が価値あるものを生み出すことができると考えている。 簡単に例示する
- プログラミングを楽しいと感じている人の方が楽しくないと感じている人より良いコードを書くだろう
- 人間関係の広がりを楽しむことができる人の方が楽しめない人より広い人間関係を築けるだろう
- ゲームを楽しんでいる人の方が楽しんでいない人より高いスコアを出すだろう
まあこんな感じだ。絶対そうなるとは限らないが大体そうなりそうな気はする。 こういう考えのもと「楽しいことをやろう」という軸を持っている。 ただ現実はさまざまな事柄が時間というリソースを食い合っている。 その日を生き延びるために働いているのにその時間をここで言う「楽しいこと」に切り替えることはできないだろう。 そういったものが出てきた時は「比較」して「選択」しなくてはならない。
ということで今悩んでいるのはとある「選択」である。 僕も起きている間ずっと音楽ゲームをしているわけではないしやるべきこともある。 具体的には述べないがさてこれからどうしようかなという気持ちが弐寺の今作終了という区切りから噴出したのだ。 まあ未来の自分を想像するとやってそうだが…
今日はこんなところかな。 こういうの書くたびに自分のことばかり考えて…と呆れる気持ちが湧くのだが、 自分のことさえどうにかできないならば他人のことを考えるのは難しいという考えもあるので 自分について考えるのは大事だ。
疲れましたわ〜。まだやることはあるのでぼちぼち脱力しながら…