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「夜と霧」読了

2024年5月8日

バスでちょこちょこと読み進めていたヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」を読み終えた。 本作はナチス・ドイツがアウシュヴィッツ強制収容所などによる絶滅政策を行っていた頃に、 収容された心理学者(作者)の体験記であり、心理学的分析の記録である。 寝食もままならない悲惨な状況が描かれるが、 そのような生活の中で人間の精神がどのように働くのかが説明されていた。

現代社会において「目標」やら「目的」やらはよく求められるし、 大事なものであると漠然と感じているが、 それは収容所のような厳しい環境においても価値あるものらしい。 収容所で生き残るために求められた「目的」は、 そもそも生きることが厳しい状態に置かれるためか「生きる目的」を考えるのではだめらしい。 生きたうえで、より高位の「生きたうえで何をするか」という目的を立てるべきだという。 それが生きる手がかりになるのだという。 我が身に照らせば、「弐寺で皆伝を取るために生きる」のではなく、「弐寺で皆伝を取りたいので、取るまでは死ぬわけにはいかない」というふうになる。

他には「人が優しくいられるのは、環境によるところが大きい」というのは話があり、 それ自体はよく聞く話だが、 収容所の苛烈な環境をもってそれを語られるので、より実感というかイメージが湧いた。