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なぜ院進したのか

2024年4月29日

どういう考えで院進したのか聞かれたので、ついでに今日のブログにしちゃおう。 院進理由はズバリ、「自分の軸探しのため」だった。 「自分の軸」というのは「やりたいこと」、「好きなこと」、「得意なこと」などの、 自己紹介するときによく話されるものだ。 自分についている情報タグと表現することもできるだろう。 本来、人間は言葉で規定できるほどシンプルな存在ではないが、 タグ付けされることによって幸福を感じることができるのも人間である。 そういったものを探すモラトリアム的な期間を得るために、幸福を得るために私は大学院に進学した。 「大学院は研究する場所だろ!」と言われそうだが、大目に見てくれ…。 もしかしたら研究が自分の軸になった未来もあったかもしれないでしょ? もっと早く見つけておけよと言われたらもうそこまでだが、 私の成長は人よりゆっくりだったのだ。お許しを。

情報タグはついているだけではだめで、少しでも目につかなければならない。 目につかなければついていないのと同じだからだ。 つまりどういうことかというと、情報工学科でパソカタできるだけではだめということだ。 だって、そこでは誰もがパソカタできるし、パソカタどころではなく、サーバーとやらを触っている人達もいる。 「パソカタ」は目につかない意味のない情報タグなのだ。 情報工学科(正確には知能情報コース)において、私は目に付く情報タグのない存在だと自認していた。 しかし、3年間では自分に意味のあるタグ付けをすることが、あるいは見つけることができなかった。 見つけようとすらしていなかったかもしれない。

転換点はやはりバイトや就活だっただろうか。 「君は何をやりたいのか」と直接的に伺いを立てられる経験がいくつかあった。 そんなこんなで社会人になるにあたって不安(不幸ともいえるか)を感じ、 時間が足りないと思い、大学院に進むという手段によって時間を作ることにしたのだ。

補足

『「パソカタ」は目につかない意味のない情報タグなのだ。』と述べたが、 それは状況によるところが大きい。 より多様度の高い状況に置かれれば、「パソカタ」も意味のあるタグになる。 それはどんなタグにも言える。 意味が無くなってしまうのは往々にしてその人がより高みを目指しているときだと考える。

結果として大学院で自分に何かしら意味のあるタグを付けられたかというと、 付けることができたと思っている。良かった良かった。